vimarsana.com

Latest Breaking News On - Hitachi takasaki - Page 1 : vimarsana.com

宇津木監督「ありがとう。よく頑張った」 愛弟子・上野を抱きしめ

 東京オリンピックのソフトボールは27日、横浜市の横浜スタジアムで決勝があり、日本は2―0で米国を破って、2008年北京五輪に続いて金メダルを獲得した。  金メダルが決まると、日本の宇津木麗華監督は涙をこらえようともせずにエースの上野由岐子(ビックカメラ高崎)を抱きしめてささやいた。「ありがとう。よく頑張った」。長年慕い続けてきた恩師からのねぎらいに、上野は「むしろ、いろいろ迷惑かけてすみませんでした」と返しながら目頭を押さえた。  宇津木監督が日立高崎(現ビックカメラ高崎)の選手だった01年に大物新人として入ってきたのが上野だった。宇津木監督は「100年に1度の選手」とほれ込み、北京五輪では日本から電話で現地の上野に助言を送り、北京五輪後に上野がモチベーションを失った時も近

担当記者は見た!:超一流であり続ける39歳、上野由岐子の進化を支えた恩師との絆

 「100年に1人の選手」と言われる上野の逸話は枚挙にいとまがない。小学3年で地元のソフトボールチームに唯一の女子選手として入ると、5年で上級生を押しのけてエースに。高校時代は自身が打たれることはほとんどなく、「こんなにつまらないんだったら野手で実業団に行こうかな」と考えたほどだった。  1999年、日本リーグの日立高崎(現ビックカメラ高崎)の選手だった宇津木麗華・日本代表監督(58)は、高校2年の上野の練習を見学した。体の線が細かったが、球は目を見張るほど速く、捕手は痛さで泣きながら受けていた。「この投手がいれば10年、20年、日本は安定する」。これが上野と宇津木監督の師弟関係の始まりだった。  上野は01年に日立高崎入り。高卒1年目で2試合連続完全試合を達成するなど異次元の活躍を見

「ここ一番は上野」福島で高ぶった開幕投手 20年来の師弟が挑む夢の続き

 「(初回は)厳しく投げすぎちゃったかな。もっと大胆に、バッターをしっかり見て感じるままに」。二回以降は緩急をつけて打者の打ち気をそらした。110キロ台前半の直球をコースに決め、変化球も低めに集めた。炎天下で85球を投げて7三振を奪った。  「20年以上も私の下で投げてくれたではなく、『投げていただいた』。上野がいてこそ優勝という夢がかなう。ここ一番は上野しかいない」。敗者復活システムがなく、6チーム総当たりの1次リーグの上位2チームが決勝に進む今大会。宇津木監督は初戦の先発を託した理由を明かした。  現役時代は強打者として活躍した宇津木監督は中国出身。1995年に日本国籍を取得し、主将だった2004年アテネ大会で3位。福岡・九州女子高(現福岡大若葉高)で注目を集めた上野とは、日立高

© 2024 Vimarsana

vimarsana © 2020. All Rights Reserved.