白石さんは兵庫県明石市立明石養護学校の校長として定年を迎えるまで、教師生活37年間の全てを養護学校と障害児学級で過ごし、障害のある児童、生徒に寄り添った。養護学校では、人工呼吸器を着けた医療的ケア児の担任を自ら手を挙げて務めた。普通学校への転勤の打診を断り続け、どんなに障害が重い子でも受け入れてきた。
「原動力となったのは娘の存在。娘が私を導いてくれた」。白石さんの次女、希世子(きよこ)さん(41)は脳に重い障害がある。生後1カ月で脳腫瘍が見つかり、8度の手術を受けた。左半身まひで自ら体を動かせず、言葉を発することもできなかった。
希世子さんが3歳の頃、地域の子どもたちと一緒に学ばせたいと、両親は受け入れてくれる保育園を探した。どこも断られた。途方に暮れていた時、児童文学作家、灰谷健次郎さんが神戸市北区に保育園を開くことを新聞報道で知った。白石さんは希世子さんを連れて講演会の控室に灰谷さんを訪ね、入園希望を訴えた。灰谷さんは「かわいいねえ」と希世子さんを抱き上げ、「うちに来ますか」と言ってくれた。
入院時は衰弱していた白石充夫さんだが、栄養士がリクエストに応じて作る昼食のグラタンを「おいしい」と平らげた=神戸市北区の神戸アドベンチスト病院で2021年7月2日午後0時12分、桜井由紀治撮影
灰谷さんが私財を投じて83年に開設した「太陽の子保育園」。希世子さんと他の子どもたちが、共に学び合い成長していく姿が「灰谷健次郎の保育園日記」で紹介されている。白石さん夫婦と保母との交換日記を基にしたこの著書で、灰谷さんは「この世のなかでなにが美しいといっても、成長しようとするいのちほど美しいものはない」と書いた。
地域の小中学校、養護学校高等部を卒業した希世子さんは19歳の時、寝たきりとなった。兵庫県三田市の病院に入院して22年になる。「娘は自分で手足を動かせないが、私にパワーを与えてくれた」。白石さんはいとおしげに語る。
妻、長女、長男の家族全員の思い出も時間をかけて述べ、手紙は6月29日に完成した。A4判で6枚。吉田さんのセラピーは白石さんで27人目になるが、今回が最も長い文章になった。
山形謙二名誉院長(左から2人目)ら病棟スタッフから誕生日を祝う花束と寄せ書きを贈られ、涙を流す白石充夫さん=神戸市北区の神戸アドベンチスト病院で2021年6月28日午前10時40分、桜井由紀治撮影
手紙は家族の心に響き、慰めにもなる。ある女性患者のケースでは葬儀の席上で読み上げられた。白石さんは旅立った後、主治医で名誉院長の山形謙二さん(74)から家族に渡してもらうよう頼んでいる。
「絶望」から「希望」へ
スタッフから贈られた誕生日の花束と寄せ書きを手に笑顔を見せる白石充夫さん=神戸市北区の神戸アドベンチスト病院で2021年6月28日午前10時48分、桜井由紀治撮影
一方、新型コロナウイルス禍で智恵さんら家族の面会は制限されている。事前にPCR検査を受けていない場合、面会は1人限りで1日わずか15分。白石さんは高齢の妻を頻繁に外出させるのも心配し、週に1回ほどしか会っていない。
眠れぬ夜は看護師が話し相手になってくれた。「自分にも何かできるのでは」と、当事者同士が対話を通じて支援し合う「ピアカウンセリング」に興味を抱くようになった。白石さんは「日本では緩和ケアはただ死を待つだけと消極的な捉え方をされるが、生きるための積極的な治療法の一つ」と話す。
6月28日、白石さんは70歳の誕生日を迎えた。「古希を迎えるまでは頑張ろう」とこの日を目標にしてきた。山形さんらスタッフから「おめでとう」と祝福を受け、花束と色紙いっぱいに書き込まれた寄せ書きが贈られて「私は幸せ者」と感激の涙を流した。
白石さんは穏やかに、人生の幕を下ろす時を迎えようとしている。【桜井由紀治】
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