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オフィスに再び人を呼び戻す「通勤手当」は本当に必要か? 英国で巻き起こった議論の争点


英国各地でロックダウン(都市封鎖)が緩和されつつあった2020年夏、企業の管理職たちは難題を突き付けられた。新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)が続くなか、在宅勤務を続けている社員たちにどうやってオフィスへ戻ってきてもらうか頭を悩ませていたのだ。
ボリス・ジョンソン首相が20年7月に「職場に戻るときがきた」と呼びかけると、企業はさまざまな策を編み出した。テクノロジーを駆使したインフラをオフィスに整備したり、週4日勤務制を導入したり、あの手この手を使って社員を呼び戻そうとしたのである。ただし、ひとつ問題があった。忌まわしき「通勤」だ。
オフィスに人を呼び戻せ
金融メディアのブルームバーグは20年9月、世界各地の従業員20,000人に対して1日75ドル(約8,200円)の通勤手当を出す方針を打ち出した。手当の使い道は個人に任されているという。同社の人事部門を統括するケン・クーパーは当時その狙いについて、社員が「安全に移動するための経済的な負担」を心配せずに安心して仕事ができる環境を確保できるようにするためだと説明した。
実際に何人の社員がこの制度を利用したかは明かされていないが、広報担当者は「通勤手当の制度は現在も継続中」としている。ジョンソン首相は21年6月にも、働く人に「できるだけ早くオフィスへ戻ってきてもらいたい」と発言しているが、果たして企業はこうした例に続くのだろうか。
プライスウォーターハウスクーパース(PwC)で人事コンサルティングパートナーを務めるアラステア・ウッズは、感染対策に関する各種の規制がいつ撤廃されるのか不透明であるなか、従来のオフィスに従業員を呼び戻すにはどうしたらいいのか十分に考え尽くした企業はあまりないと考えている[編註:原文初出は21年6月22日。イングランドでは21年7月19日に感染対策のほぼすべての規制が撤廃された]。
ウッズのクライアント企業の多くはオフィスに人を戻すプル要因(引き寄せ要因)のひとつとして、オフィス空間のあり方や従業員同士の交流といった面で仕事場を「可能な限り楽しい場所」にしようと知恵を絞っているという。
企業のなかには、一部の社員が地方に移住したことをきっかけに、「楽しい」オフィスに社員を呼び戻すべく斬新な方策を考え始めたところもある。「ロンドン在住者に地域手当をつけるというコンセプトの趣旨を変え、ホームオフィスやウェルビーイングを支援するための手当を設けるのはどうだろうかと言ってきた企業もあります」とウッズは話す。「社員はそこから費用を拠出できますし、遠隔地に移った社員の通勤費にも使えます」
通勤手当をめぐる問題
通勤による従業員の日々のストレスをいかに減らすか、企業が模索し始めるのも無理はない。20年以降、在宅勤務は働く人のウェルビーイングに多くのメリットをもたらした。一方、金銭面での利点もそれと同じくらい大きく、人々が再び地下鉄に乗って通勤したいかどうかを考え直すきっかけになるだろう。
英国の求人サイト「Totaljobs」が20年8月に発表した調査結果によると、今後オフィスに出勤する必要がなくなった場合、平均的なロンドン市民であれば生涯で14,000ポンド(約212万円)以上のコスト削減になるという。また価格比較サイトの「Confused」は20年2月、それまで通勤していた人が在宅勤務になったことでひと月当たり300ポンド(約46,000円)も出費が減ったとの分析結果を発表した。
ただし、雇用主が通勤コストを負担して社員のやる気を喚起する方法には、難しさも伴うだろう。コロナ禍ですでに都市部から郊外へ移住した人もいるが、通勤の費用を出してもらえるなら自分も移住しようと考える人が今後も出てくるかもしれないと、西イングランド大学交通社会センターのディレクターを務めるグレアム・パークハーストは指摘する。
「通勤手当に何らかの上限を設けるのでしょうか?」と、パークハーストは問う。「通勤手段によっては、かなり高額になる可能性もありますよね」
INFORMATION
通勤事情は一人ひとり異なるので、福利厚生としての通勤手当にはどうしてもある程度の不公平が生じてしまう。その対処法として、上限を設けることはプラスには働くだろう。しかし、そこまで個別化されたインセンティヴは行動の変容を招くかもしれず、それが個々の従業員の希望から環境保護のための事業計画まで、さまざまな点で衝突を招く事態にもなりうるとパークハーストは注意を促す。
「過去にはカンパニーカー[編註:会社経費で購入され社員に貸与されるクルマ。公私共に使え、英国の法制度では現物給付として課税対象になる]を巡って大きな問題を抱えた企業もありました。意図しない結果や制度の悪用の可能性がかなり高かったのです」と、パークハーストは言う。「過去には仕事での走行距離に応じて税額控除の額が変わった時期があったので、職場までの距離を長く申告すれば会社支給のクルマを実質的に無償で使えました。なかには遠方での会議をたびたび設定して、年末調整までに走行距離が伸びるようにしていた事例もあります。カンパニーカーの制度は合理的ではありましたが、かなりよこしまな動機も生んだのです」
通勤手当と日本の通勤地獄
通勤手当があれば社員が出勤する必要性を感じるだろうという考えは、眉唾ものにも思える。一方で日本の例をみると、交通費の支給が「通勤地獄」につながる可能性がある。
日本の通勤事情といえば、混雑する駅のホームやすし詰め状態の通勤電車が有名だ。14年の『ジャパンタイムズ』の記事は、手厚い通勤手当(9割を会社が負担する場合もある)に原因の一端があると分析している。
これは英国では起きそうにない状況だと言っていい。その背景のひとつには、退屈だが重要な事情がある。英国において通勤手当は課税対象なのだ。
「一般的な定義における通勤費を社員に支払えば、それは課税対象になる手当とみなされます」と、PwCで雇用税関係の係争を担当するマット・クロフォードは説明する。「通勤手当は給与と一緒に支払われなければならず、税金や国民保険を計算する際の課税対象になるのです。ここが重要です」
主な勤務場所とみなされる場所を複数にすることでこれを回避する方法も考えられるが、現行の税制度で認められた正攻法とは言えない。課税対象の扱いを解消するには、当然ながら制度を根本から見直す必要があるのだ。しかし、いまのところ英国政府はこの領域に手を入れる意向は示していない。
加えて英国のリシ・スナク財務相は所得税控除額と生涯拠出上限額を2026年まで据え置くと発表しており、財務省が近いうちにさらなる緩和策をとるとは考えにくい。なお、現行の規定は70年代から続くもので、最近の財務省租税簡素化室(Office of Tax Simplification)の報告書にわずかな言及があった以外、見直しの検討はほとんどされていないとクロフォードは指摘している。しかし、そうした変更を導入しない限りジョンソン首相が目指す「働く人が以前のようにオフィスに戻ってくる」状況は実現しないだろう。
日本企業にも変化が
一方、日本の企業のなかにも従業員の通勤費の負担を取りやめる動きが出てきている。富士通は20年、80,000人の従業員にテレワークを推奨し、オフィス面積を半減する計画を発表した。同社は計画を推進するために通勤定期券代の支給をやめ、代わりに在宅勤務の環境整備費用補助として月額5,000円を支給することも発表している。「Work Life Shift」と名づけられたこの計画は、「これまでにない柔軟な働き方により、イノヴェイションとワークライフバランスを後押しする」ために導入したと同社は英語版のプレスリリースに書いている。
英国の企業が取り入れるべきは、日本式の通勤手当制度ではなく富士通のようなアプローチだと話すのは、西イングランド大学交通社会センターの上級リサーチフェローであるジュリエット・ジェインだ。「毎日オフィスへ行く人はこれから減少し、仕事はさらに柔軟になっていきます」と彼女は予測する。
「企業側が重点を置くべきは、費用を負担して会社に来てもらうことではなく、従業員が自宅で仕事のできる環境とスペースをきちんと確保できるようにすることでしょう。経済全体や交通産業にとっては好ましくないことのように思えるかもしれませんが、より持続可能な社会のあり方に転換するチャンスなのです」
※『WIRED』による働き方の関連記事はこちら。
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