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上野由岐子「諦めなければ夢はかなう」恩師・宇津木監督と涙の抱擁

上野由岐子「諦めなければ夢はかなう」恩師・宇津木監督と涙の抱擁
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担当記者は見た!:超一流であり続ける39歳、上野由岐子の進化を支えた恩師との絆

 「100年に1人の選手」と言われる上野の逸話は枚挙にいとまがない。小学3年で地元のソフトボールチームに唯一の女子選手として入ると、5年で上級生を押しのけてエースに。高校時代は自身が打たれることはほとんどなく、「こんなにつまらないんだったら野手で実業団に行こうかな」と考えたほどだった。  1999年、日本リーグの日立高崎(現ビックカメラ高崎)の選手だった宇津木麗華・日本代表監督(58)は、高校2年の上野の練習を見学した。体の線が細かったが、球は目を見張るほど速く、捕手は痛さで泣きながら受けていた。「この投手がいれば10年、20年、日本は安定する」。これが上野と宇津木監督の師弟関係の始まりだった。  上野は01年に日立高崎入り。高卒1年目で2試合連続完全試合を達成するなど異次元の活躍を見

バスケ女子・オコエ桃仁花 父の母国ナイジェリアを訪れ、固めた決意

 「ディズニーアニメ『リロ&スティッチ』を毎週見ていてお母さんに『リロに似ているね』って言われたことがうれしかったんです」。少女のリロがフラダンスをするシーンに魅せられ、小学3年生で地元のフラダンス教室に通った。  転機は6年生の頃。小学校のバスケチームの人数が足りずに参加を頼まれ、いきなり出た大会で最優秀選手賞(MVP)の活躍をした。チームから入部を誘われたが、「やらない」と断った。母に「中途半端になるからどちらか一つにしなさい」と言われ、「フラダンスがやりたい」と言ったが、最後は母に押し切られる形でバスケの世界に足を踏み入れた。  持ち前の身体能力の高さを生かして中学、高校でも活躍し、U17(17歳以下)日本代表にも選ばれた。東京・明星学園高3年の時に全国高校選抜優勝

ソフトボール 陰で支えるもう一人のレジェンド・峰幸代が初先発

 東京オリンピックのソフトボールは26日、横浜市の横浜スタジアムで1次リーグがあり、日本は27日の決勝で当たる米国と対戦し、1―2でサヨナラ負けを喫した。33歳のベテラン捕手・峰幸代(トヨタ自動車)が今大会初めて先発出場した。  2008年北京五輪で金メダルを獲得した盟友のエース・上野由岐子(ビックカメラ高崎)、主将の山田恵里(デンソー)ほどの活躍はない。峰自身の言葉も控えめだ。「役割は出ても出なくても変わらない。みんなが力を発揮できる環境を作っていきたい」。その言葉通り、陰から日本代表を支えている。  日本代表最年少の20歳で北京五輪に出場。上野が一人で413球を投げ抜いた決勝までの3試合に全て先発出場し、金メダル獲得に貢献した。14年限りで現役を引退したが、東京五輪を目指して16年に

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